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ハチミツの歴史
イギリスの諺に"蜂蜜の歴史は人類の歴史"とまで言われ、大昔の先人達は、ハチミツの価値、効能を良く知っていました。紀元前7000年前には、スペインのアラーニャ洞窟で、蜂蜜を採取している様子が描かれた壁画が発見されました。蜂蜜は"神からの贈り物"として古くから大切に扱われてきたのです。また、1922年アメリカの考古学者デーヴィスは、古代エジプト王の墓から壺に入った蜂蜜を発見。3300年前のものにもかかわらず、全く当時のままだったと伝えられました。
一方、中国では蜂蜜を不老長寿の薬として様々な処方に使用していました。また中世ヨーロッパの教会ではローソクの原料として、蜜蝋を採るための養蜂が盛んに行われていたとされています。
ただ、養蜂といっても、十九世紀半ばまでは蜂の巣を探し、その巣を砕いて蜜を搾り取る方式でした。養蜂は人類と共に歩んできたといって過言ではなく"蜂"の偉大さを今更ながら感じずにはいられません。
しかし、十九世紀後半になって微生物の存在と、その感染についてが明らかになりました。また、抗生物質の発見により、蜂蜜は医療現場から姿を消し、食品として愛用されるようになったのです。
そして、近代の養蜂は、家畜として飼育管理されてきたのが特徴です。これを可能にし、近代養蜂の幕を開けたのが、アメリカ人のラングストルスで、1851年に取り外しの出来る"可動式巣枠"を考案し、飼育管理が可能になりました。
その後、メーリング(ドイツ)が人工巣礎を考案し、それに付帯する器具類も開発され、養蜂が産業として成り立つ基盤をつくりました。 同時に蜜蜂の学術研究も飛躍的に進み、1973年にはドイツのカール・フォン・フリシュ博士がノーベル賞を受賞しています。
一方、日本のハチミツ事情は、日本書紀に 「五月蝿有り集まりて、おりかさなること十丈。大空に飛んで信濃坂を越え、鳴音雷の如く、東上野に至って散る」 とあります。このころ一般的には「ハチミツ」という」言葉も文字もなく、これを"蝿の群"と呼ぶしか表現の方法がなかったのでしょう。
『ハチミツ』という言葉は皇極二年(1143年)に始めて現れ、9世紀末には国内でも蜂蜜を献上品として扱っていました。
蜜蜂が飼われたのは、宝永5年(1708年)貝原益軒の「大和本草」に初めて出きます。
当時蜂蜜は、伊勢、紀伊の熊野、尾張、土佐などが産地として知られていましたが、特に土佐産が良いとされていたようです。
1803年初めには、特に、広く西日本方面が産地として知られる様になったようですが、明治8年(1815年)には、当時の役所(内務省)が養蜂の研究を進めるよう促し、その新天地を小笠原にまで求め、蕎麦やお茶などから集密状況を観察・研究し、科学的な指導もした。
このように、ハチミツは古くから多くの国で多くの人に認められ、健康のため、美容のため、そして安全な食品として愛され今日に至っています。ただ近年は農薬や蜜蜂の天敵など、地球環境の変化により野生の蜜蜂が減少し、農産業にも影響を与えているのは心配されるところでもあります。